新宮市議会 2022-06-21 06月21日-02号
そこで、なぜこれ上げたかというと、だからこの格言を、朱熹は、朱子学の祖ですよ。大変な教育者、哲学者ですね。言うているのは、この朱熹は官僚だったんですよ、皆さんと一緒。公務員やったんやで。だけど、時の宰相、総理大臣と意見が合わなくて追放されて、迫害されるんですよ。言いたいのは、こういう立派な人でも権力者と意見が合わないと、追放されて、迫害されるんやと。
そこで、なぜこれ上げたかというと、だからこの格言を、朱熹は、朱子学の祖ですよ。大変な教育者、哲学者ですね。言うているのは、この朱熹は官僚だったんですよ、皆さんと一緒。公務員やったんやで。だけど、時の宰相、総理大臣と意見が合わなくて追放されて、迫害されるんですよ。言いたいのは、こういう立派な人でも権力者と意見が合わないと、追放されて、迫害されるんやと。
道徳の概念もいろいろ、その時代、時代によって違うと思うんですが、私自身が考える道徳というものは、大体江戸時代の1615年から1624年の儒教の朱子学の道徳というもので、この価値観を説明しようとする山鹿素行という学者によって、新たに士道の概念が確立された。これによって初めて儒教的な倫理、仁義忠孝などが武士に要求される規範とされるようになったとされる。
そして「問題を紀州の藩学に限定して考察すると、紀州藩の儒学は大局的・自主的で自由で、仙台藩や肥後藩のような一大雄藩も官学たる朱子学の域を出なかったが、紀州藩は朱子学も古義学も復古学もすべて自由に摂取して遂には紀州藩折衷学とも云うべき学風を生み、多くの創造的な業績を挙げている。その由って来る所以は第1には親藩という家格の致す所と考えられる。